2020年 07月 13日
ノーズワークの好きな所と失敗談 |

前からいつか書こうかなあ・・・と
思いながら書いてこなかった
独り言的な事をたまに書いていきたいと思う。
スポーツとしてのノーズワークについて
私が気に入っている点は、
・犬の個性と犬が考えてる事が顕著に現れる点。
・指示をほとんど与えることなく、犬が自発的な
意思で動き目に見えない嗅覚の世界を
犬に見せて教えてもらえる点。
・犬に肉体的&精神的に無理な負荷をかけない点
・大部分を犬の自主性に委ねながらも、犬と一緒に
協調性をもって取り組める点。
そして、何より一番魅力を感じているのが
・他のドッグスポーツ同様に明確なルールがあり、
点数がつく事で、何を教える必要があり、
何が求められているかがはっきりし、
自分のトレーニングスキルがどのレベルにあるのか?
ということが、明白になる点。
最後の項目以外は、前々から理解していたことだけど
最後の項目がなければ、いくらノーズワークが
素晴らしいアクティビティだと感じていても、
常に向上を目指そう、そのために試行錯誤を重ねよう。
という継続のモチベーションにはなかなか繋がらない。
スポーツとしてのノーズワークを知らないまま
嗅覚系アクティビティに取り組んでいた時代は
「まあ、これくれいでいっか。」
や、「やってもやらなくてもいっか」
となってしまっていた。
具体的な目標がないから当然といえば
当然なのだが・・・。
スポーツだからこそ、より洗練されたものを
求められ、そこに到達するために、
自分の犬スキル(向き合い方、観察力等)が
問われ続けるので、試行錯誤するのが楽しいという、
今の自分のモチベーションにつながっている。
これまでに、ノーズワークに挑戦する
沢山の飼い主さんと犬達を見てきて気づいた点がある。
それは、ドッグトレーニングの経験が豊富な人と、
トレーニング経験が少ない人は、目の前で起こっている
同じ現象を見ていても、考えていることが全く異なる。
ということ。
それは、犬を理解する能力の違いと言えるのではないか
と、思ったりもしている。
トレーニング経験が少ない人は
犬ができる。できない。
やる。やらない。
楽しそうか、そうでないか?
という目に見える部分や
目の前の現象にのみ意識が
向けられていることが多く、
その犬の行動の意味する所を
推測したり把握できていることが
少ないように見えることが多い。
最初こそやる気満々だが、
自分が思うような結果や
反応が得られないと
面白さも感じられず、興味も意欲も失い、
考えることも、取り組み自体も
やめてしまうことが多い印象。
トレーニング経験のある人は
「結果」以外にも、目の前の現象から
多くを読み取ることができるので
犬の心理状態や思考について常に
考えを巡らせている感じで
思うような結果が得られないと、
その事をいつも頭の片隅に置いていて、
原因について考えたり、次やるとしたら
どういう風にしようか?と計画を立てたり
結果や目に見える部分以外の所での
犬とのやりとり自体に面白さを感じながら
創造的に向き合っているという印象。
的確に犬を読む能力&犬に伝える能力というのは、
言葉を発することができない犬からすれば
どの飼い主にも身につけて欲しい能力だと思うし、
それは正確であればあるほど、
双方にとっての幸せに繋がると思う。
過去の私の失敗談だが、
先代のコは、教えると理解は早いが
やるかやらないかを決めるのは犬自身で、
「やる気」はその時の犬の気分次第な所があった。
ご褒美が手作りスペシャルトリーツであろうと、
モチベーションに繋がらないことも多々あった。
あの当時の自分が犬に向き合う気持ちや情熱の熱量や
努力は相当だったと思うけれど
それに反して、うまく行かないことも少なくなかった。
その最も大きな原因は自分の思考が犬に対しても
それ以外に対しても基本「受け身」だったという事が
影響していたのではないかと、今は思う。
自分の犬にとって最適かつ有効な方法は何か?
と色々と試してみるものの、
基本的に「犬の出方」を伺ってからスタートする
ところがあって、
いつやるとやる気が出るか?
犬自身が喜ぶか喜ばないか?
犬が楽しいか楽しくないか?
犬がどうしたいか?
犬に成功体験を積んでもらう為に
失敗させない方法は何か?
などと、犬を伺い気を使いまくっていた。
同時に、犬の心理状態につられてしまいがちな
飼い主でもあった。
犬が楽しくて嬉しいと自分も楽しくて嬉しい、
犬がつまらなさそうだと、自分もつまらない。
犬が嫌がりそうなことはしたくない。
みたいな節があった。
本来は、自分の軸が先にあって
そこに合うように犬と関係を構築していくべき所を
「犬の状態が優先で、その中でできることを探す」
という考え方をしていた気がする。
それももちろんん大事な要素ではあるのだけれど、
7:3くらいで、犬優先に考えていたように思う。
自分の理想としていたのは、
いつ何時でも一緒に居て困ることも困らせることもなく
リードや物に頼らずとも、お互いが安心して過ごせる
関係性であり、私から提案する事に対して、
嬉々として応じてくれるような、
通じ合える相棒としての「犬」だった。
今は日常生活において困ることはほぼない。
それでも、改善したいことは多々あるが、
自分の思考が変わったことで、環境も含めて、
理想に近い犬との関係性と暮らしを手に入れた。
うまくいかない時、
自分の持つ「思考」がネックと
なっている場合も往々にしてあるもので、
どこかズレた考え方、接し方をしているうちは、
何かを一生懸命頑張ったところで、
空回りになってしまい、
努力に見合わない結果となると
過去の経験から学んだ。
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by scentline
| 2020-07-13 03:51
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