2016年 08月 12日
愛犬の旅立ちと思い出 4 |
時々、ブログの解析レポートを見ると
今なお、愛犬の旅立ちと思い出3を閲覧してくださる方が多いようです。
続きはまた今度。と書きながら、ずっと続きを書いてないままなので、
中には、気になってる人もいらっしゃるのかもしれません。
私自身書くべきかどうかかなり迷って、結果更新しないままでした。
でも、最後の様子が気になる方もいるのかもしれないですね。
というわけで、あれから2年半たった今日は、亡き愛犬ジップの誕生日。
生きていたら19歳でした。
ジップは、16歳5ヶ月という命を全うしました。
子犬の頃からお腹が弱く、下痢・軟便が多いコでした。
下痢が続くと、下血になり病院に担ぎ込んで何度も入院しました。
調べてもその原因が特定できず、下痢が止まらないので、
薬で無理やり下痢を止めてたりもしていました。
それが、天寿に近い年齢まで元気でいてくれて、
とても家族孝行な犬だったと思います。
最後を迎えた時のこと、見送った後のこと、
あと、私の場合の心の傷の癒し方についてどのような手段をとったのかを
記載したいと思います。
2014年1月にお休みを頂いて、京都に帰省しジップの様子を見守る。
1週間程度お休みをいただいたものの、東京に戻る日が迫ってきていた。
ジップが最後を迎える時には側にいたいという思いは、
ずっと抱いていたことだった。
一人で仕事をしているから、ある程度は自分の都合でスケジュールも
管理できる環境ではあるものの、あまりに長く休む訳にもいかない為、
最後の瞬間まで、そばにいたいという願いは叶えられないかもしれないと
思うこともあった。
もうダメかもしれないという状態で、
低空飛行で頑張り続けるジップの姿を見ていると、
このまま、案外長く介護生活が続くかもしれないとも感じたし、
ほとんどの時間を寝てばかりで過ごすジップを見守りながら、
色んな人達のブログを読んだりして過ごしていたら、
色んなケースがあることを知ったし、
低空飛行ながら何ヶ月または年単位でがんばるコもいるようだった。
愛犬を見送った経験がなかったので、
「こういう症状が見られたら、いよいよお迎えがくる兆し」
と、最後の瞬間を迎える前の症状について、よく分からなかった。
それについて、書いている記事は見つけられなかったし、
ジップが実際のところ、どれくらいがんばるのかは、
正直、見当もつかなかった。
やせ細ってきたこともあり、フワフワの寝床を作り
同じ場所に圧がかかって痛くないように、体の向きを変えてあげたり、
寝ている場所を変えて気分が変わるようにもした。
結果的には最後まで床ずれなども傷も全くなく、綺麗なままで過ごせた。
食事はa/d缶を与えるように獣医さんから指示されていたけれど、
食べやすくて美味しいものを与えたかったので、
市販のプリンを口に運ぶと舐めて少し食べたりもした。
お水にポカリスエットを混ぜたら、嫌だったのか飲むのを断固拒否した。
ただの水道水が一番慣れて美味しかったらしい。
動けないけど、選り好みする気力があったり、
主張や意思はとてもはっきりとしている所もまた
生命力があることを感じさせ、励まされた。
場所や体勢が気に入らなかったりすると、はっきりとした声で
吠えて訴えたし、快適だと静かにスヤスヤ眠る。
昼夜逆転現象なのか、夜中に吠えることもしばしば。
病院から安眠できるように、精神安定剤を何日分か出してもらっていた。
初めてそれを使った時は、薬を入れた瞬間に
コテンと意識を失ったので驚いたが、朝までよく寝た。
そして、別れの時は突然やってきた。
夜、リビングにあるこたつに半分入りながら、
私の膝の上に乗せた状態で、スヤスヤと眠るジップを起こさないように、
ノートPCをいじったり、テレビを見たりして数時間過ごした。
むやみに触ると睡眠を妨げるので、体をさすったりするのは
ジップが起きている時だけに留めた。
すると、急にジップが腹筋に力を入れた感じがした。
その直後、便がポロポロっと床に落ちた。
食べられない分、排泄も何日もしないことが多くなっていたので
久しぶりに良い便が出たのを見てホッとした。
夜中の2時を過ぎた頃、精神安定剤を投薬したのだが、
今回は前回のようにコテンとは眠らなかった。
薬が効かないことに「あれ?おかしいな。」と思いながらも
そのまま膝の上に乗せてしばらく過ごした。
後から思えば、精神安定剤の薬が効かなかったことも、
一つの先が長くないというサインだったのかもしれない。
しばらくして、自分の睡魔に勝てなくなり膝から降ろして、ジップを
ベッドに寝かせて自分も眠った。
その後、2時間ほどして起きたジップに気づいた母が、
自分の布団に移動させて、一緒に並んで朝まで眠っていたらしい。
明け方、5時頃にジップがいつもと違う声で吠えていたようだが、
その声は父しか聞いておらず、
深い眠りに落ちていた、私と母は聞き逃したようだった。
父曰く、これまであまり聞いたことがないような、
少し変わった吠え方だったらしい。
朝、8時に父が出勤する前に様子を見た時は、
静かに寝ており、まだ息があったとのことだった。
母が起きて、部屋の掃除などをしていた朝9時、
ジップは、まだ母の布団の中。
私もまだ自分の布団の中でまどろんでいたが、
母の驚いたような声を聞き、飛び起きた。
近寄った時に、息をしていないことに気づいたからだった。
静かに寝ているように見えたジップだったが、呼吸が止まっていた。
少し脱糞しており。心臓も止まっているようだった。
体はまだ温かく、息を引き取って間もないことがわかった。
少しでも長く生きていてほしい気持ちはあったけれど、
自然に呼吸と心臓が止まったのだから、
蘇生処置などはせずに見送ることにした。
とても静かな最後だった。
母はジップをいつものように抱き上げて、赤ちゃんをあやすように揺らしながら、
床に座って、亡骸を抱きしめたまま涙を流して泣いていた。
こんなに早く逝ってしまうなんて思わなかった。と、母は言い、
私は、言葉では言い表せない気持ちになった。
同時に、ジップは私の思いを汲んでくれたのだろうかとも思った。
私も含め家族が側にいる時に、自宅で眠るように穏やかに
最後を迎えて欲しいというのは、私の長年願いだったから、
それを叶えてくれた最後に驚きと悲しみと、安堵とが混じった気持ちだった。
母と一緒にジップの全身をきれい拭いて、子犬の頃からずっと使ってきた
ジップ愛用の藤のカゴのベッドに寝かせた。
父にメールで報告すると、昼休みに父から折り返しの電話があった。
「そうか・・・」と短い返事だったように思うが、夜、仕事から帰宅して
亡骸の前に直行し、頑張ったなと言い泣き笑いみたいな顔で、
涙を流しながらジップの頭を少しだけ撫でていた。
父を慕い、ある意味分身のような存在になっていたジップだったので、
辛さは相当だったと思う。
昼過ぎに、動物病院の担当獣医師の先生にも電話で連絡をした。
今朝、亡くなったという報告と、これまでお世話になったお礼と
近日中にまだ病院にも伺うことを伝えたが、
そこで、急に悲しみがこみ上げてきて、
先生の言葉を聞きながら、要件を短く伝えるのが精一杯だった。
その後も火葬場などの手配し終えた後は、何をするでもなく
亡骸を眺めながら、ただただ1日が過ぎていった。
柔らかかった体は徐々に強張っていった。
うっすら開いていたその目も、徐々にくぼみ光を失って行くようだった。
ただ眠っているようにしか見えない、そんな姿だった。
自分が悲しい気持ちはもちろんあったけれど、
ジップのやせ細った体を見て、やっと楽になれたのだろうという気持ちもあった。
不自由になった体から解放されて、元気いっぱいに飛び回り弾けていた
あの頃のように、天国で思い切り走り回っていたら良いなと。
翌日、父は仕事を休めたので家族で車で火葬場に行った。
お骨を拾い骨壷に収めて持って帰ってきた。
16歳という年の割に、骨はしっかりとして綺麗に見えた。
火葬場の人も、年齢の割にとても綺麗ですねと言ってくれた。
全員に言うお決まりの言葉かもしれないけれど、その言葉は少し嬉しかった。
これまで、大事に育ててきたことを肯定してもらえたような、
そんな気がしたからかもしれない。
翌々日、私は予定通り東京に戻った。
2年半以上経った今でも、リアルに情景を思い出すと
こみ上げてくるものがあり、一気に書ききれることもでもなかったから、
本当に大きな出来事ではあったけれど、後悔の気持ちはほとんどなかった。
自分にできることは全部やったという気持ちがあったからだと思う。
不思議なことに、その後、私の夢にもジップは全然出てこない。
ジップも、この世で散々楽しんで堪能して喜びも多く生きて、
満足して旅立ったのではないかと思う。
毎日毎日、献身的に世話をしてくれた両親にも、とても感謝している。
溺愛していた両親にとって、ジップの死は、私以上に相当堪えたと思う。
もう二度と犬を迎えない。という、両親の決意は固そうだから、
それはそれで尊重しようと思う。
私は私で、また新たに犬を迎えて、
ジップと過ごした日々を生かすことになるだろうと思っていた。
私自身の生き方も変えるような大きな影響を与えてくれて、
突き動かしてくれた存在だったから。
ジップ無くして今の自分はあり得ない。
ジップのおかげで、知ったことや感じたことは、
本当にかけがえのない、素晴らしいものだった。
全てを終えて東京に戻った後、生活は変わらないのに、
なんだか世界がガラリと変わってしまうような、やりきれない気持ちになった。
離れていてもずっと心の支えになってきた存在だったから、
支えを失うことで、自分の中心がなくなってしまったような気持ちだった。
自分の一部として存在していた愛犬を失った時、
人それぞれ、悲しみとの向き合い方がある。
どういう形であれ、そのあまりの辛さを少しでも和らげようとする。
父は後日、等身大のジャックラッセルテリアのぬいぐるみを
ネットでオーダーし、いつもジップの寝ていた定位置に置いていた。
私の場合、一番心が慰められたのは、
あるブログの「ペットロス」のカテゴリーの記事を読むことだった。
それが以下のリンク先にあるもので、
どれも犬への愛に溢れたものであり、温かい気持ちになると同時に、
自分の気持ちを代弁してくれているようで、とても慰められた。
http://catsanddogs75.blog136.fc2.com/blog-category-4.html
特にお気に入りの記事は、「バスターが死んだんだぞ」というもの。
最も共感できると共に、微笑ましくも読む度に胸を打たれ涙が出てしまう。
(今日、ブログを改めて見たら、昨日更新の最新記事としてUPされててびっくり!!
コメント欄を見るとお分かりの通り、数年前より掲載されている記事です。)
http://catsanddogs75.blog136.fc2.com/blog-entry-15.html
そして、このブログで紹介されているペットロスの記事だけがまとめられて
電子書籍になっている。
この本の利益はすべて、日本と世界の動物チャリティ団体に寄付されるのだが、
今年(2016年)一杯で、この電子書籍の販売は終わるらしい。
「大の男が号泣するとき: When a big man cries」 ノーマンテイラー邦子 (著)
この記事の凄いところは、ペットロスの人の心に寄り添うだけでなく、
次の犬を迎えることについて、後押ししてくれることだ。
2015年の秋に私は、一時預かりボランティアで協力してきた
保護団体から新たに愛犬を迎え入れることが出来た。
犬と暮らすことって、思い通りにならなかったり、ハラハラしたりイライラしたり
不自由が増えるけど、何て楽しくて面白くて幸せなんだろうと常々思う。
こうした気持ちでまた毎日過ごせることも、ジップの存在があったからこそ。
生きている間も、天国に行ってしまってからも、
私の心の一部となって、大きな存在感を発揮し続けてくれている。
※ 写真が間に合わなかったので、後日追加するかも・・・。
今なお、愛犬の旅立ちと思い出3を閲覧してくださる方が多いようです。
続きはまた今度。と書きながら、ずっと続きを書いてないままなので、
中には、気になってる人もいらっしゃるのかもしれません。
私自身書くべきかどうかかなり迷って、結果更新しないままでした。
でも、最後の様子が気になる方もいるのかもしれないですね。
というわけで、あれから2年半たった今日は、亡き愛犬ジップの誕生日。
生きていたら19歳でした。
ジップは、16歳5ヶ月という命を全うしました。
子犬の頃からお腹が弱く、下痢・軟便が多いコでした。
下痢が続くと、下血になり病院に担ぎ込んで何度も入院しました。
調べてもその原因が特定できず、下痢が止まらないので、
薬で無理やり下痢を止めてたりもしていました。
それが、天寿に近い年齢まで元気でいてくれて、
とても家族孝行な犬だったと思います。
最後を迎えた時のこと、見送った後のこと、
あと、私の場合の心の傷の癒し方についてどのような手段をとったのかを
記載したいと思います。
2014年1月にお休みを頂いて、京都に帰省しジップの様子を見守る。
1週間程度お休みをいただいたものの、東京に戻る日が迫ってきていた。
ジップが最後を迎える時には側にいたいという思いは、
ずっと抱いていたことだった。
一人で仕事をしているから、ある程度は自分の都合でスケジュールも
管理できる環境ではあるものの、あまりに長く休む訳にもいかない為、
最後の瞬間まで、そばにいたいという願いは叶えられないかもしれないと
思うこともあった。
もうダメかもしれないという状態で、
低空飛行で頑張り続けるジップの姿を見ていると、
このまま、案外長く介護生活が続くかもしれないとも感じたし、
ほとんどの時間を寝てばかりで過ごすジップを見守りながら、
色んな人達のブログを読んだりして過ごしていたら、
色んなケースがあることを知ったし、
低空飛行ながら何ヶ月または年単位でがんばるコもいるようだった。
愛犬を見送った経験がなかったので、
「こういう症状が見られたら、いよいよお迎えがくる兆し」
と、最後の瞬間を迎える前の症状について、よく分からなかった。
それについて、書いている記事は見つけられなかったし、
ジップが実際のところ、どれくらいがんばるのかは、
正直、見当もつかなかった。
やせ細ってきたこともあり、フワフワの寝床を作り
同じ場所に圧がかかって痛くないように、体の向きを変えてあげたり、
寝ている場所を変えて気分が変わるようにもした。
結果的には最後まで床ずれなども傷も全くなく、綺麗なままで過ごせた。
食事はa/d缶を与えるように獣医さんから指示されていたけれど、
食べやすくて美味しいものを与えたかったので、
市販のプリンを口に運ぶと舐めて少し食べたりもした。
お水にポカリスエットを混ぜたら、嫌だったのか飲むのを断固拒否した。
ただの水道水が一番慣れて美味しかったらしい。
動けないけど、選り好みする気力があったり、
主張や意思はとてもはっきりとしている所もまた
生命力があることを感じさせ、励まされた。
場所や体勢が気に入らなかったりすると、はっきりとした声で
吠えて訴えたし、快適だと静かにスヤスヤ眠る。
昼夜逆転現象なのか、夜中に吠えることもしばしば。
病院から安眠できるように、精神安定剤を何日分か出してもらっていた。
初めてそれを使った時は、薬を入れた瞬間に
コテンと意識を失ったので驚いたが、朝までよく寝た。
そして、別れの時は突然やってきた。
夜、リビングにあるこたつに半分入りながら、
私の膝の上に乗せた状態で、スヤスヤと眠るジップを起こさないように、
ノートPCをいじったり、テレビを見たりして数時間過ごした。
むやみに触ると睡眠を妨げるので、体をさすったりするのは
ジップが起きている時だけに留めた。
すると、急にジップが腹筋に力を入れた感じがした。
その直後、便がポロポロっと床に落ちた。
食べられない分、排泄も何日もしないことが多くなっていたので
久しぶりに良い便が出たのを見てホッとした。
夜中の2時を過ぎた頃、精神安定剤を投薬したのだが、
今回は前回のようにコテンとは眠らなかった。
薬が効かないことに「あれ?おかしいな。」と思いながらも
そのまま膝の上に乗せてしばらく過ごした。
後から思えば、精神安定剤の薬が効かなかったことも、
一つの先が長くないというサインだったのかもしれない。
しばらくして、自分の睡魔に勝てなくなり膝から降ろして、ジップを
ベッドに寝かせて自分も眠った。
その後、2時間ほどして起きたジップに気づいた母が、
自分の布団に移動させて、一緒に並んで朝まで眠っていたらしい。
明け方、5時頃にジップがいつもと違う声で吠えていたようだが、
その声は父しか聞いておらず、
深い眠りに落ちていた、私と母は聞き逃したようだった。
父曰く、これまであまり聞いたことがないような、
少し変わった吠え方だったらしい。
朝、8時に父が出勤する前に様子を見た時は、
静かに寝ており、まだ息があったとのことだった。
母が起きて、部屋の掃除などをしていた朝9時、
ジップは、まだ母の布団の中。
私もまだ自分の布団の中でまどろんでいたが、
母の驚いたような声を聞き、飛び起きた。
近寄った時に、息をしていないことに気づいたからだった。
静かに寝ているように見えたジップだったが、呼吸が止まっていた。
少し脱糞しており。心臓も止まっているようだった。
体はまだ温かく、息を引き取って間もないことがわかった。
少しでも長く生きていてほしい気持ちはあったけれど、
自然に呼吸と心臓が止まったのだから、
蘇生処置などはせずに見送ることにした。
とても静かな最後だった。
母はジップをいつものように抱き上げて、赤ちゃんをあやすように揺らしながら、
床に座って、亡骸を抱きしめたまま涙を流して泣いていた。
こんなに早く逝ってしまうなんて思わなかった。と、母は言い、
私は、言葉では言い表せない気持ちになった。
同時に、ジップは私の思いを汲んでくれたのだろうかとも思った。
私も含め家族が側にいる時に、自宅で眠るように穏やかに
最後を迎えて欲しいというのは、私の長年願いだったから、
それを叶えてくれた最後に驚きと悲しみと、安堵とが混じった気持ちだった。
母と一緒にジップの全身をきれい拭いて、子犬の頃からずっと使ってきた
ジップ愛用の藤のカゴのベッドに寝かせた。
父にメールで報告すると、昼休みに父から折り返しの電話があった。
「そうか・・・」と短い返事だったように思うが、夜、仕事から帰宅して
亡骸の前に直行し、頑張ったなと言い泣き笑いみたいな顔で、
涙を流しながらジップの頭を少しだけ撫でていた。
父を慕い、ある意味分身のような存在になっていたジップだったので、
辛さは相当だったと思う。
昼過ぎに、動物病院の担当獣医師の先生にも電話で連絡をした。
今朝、亡くなったという報告と、これまでお世話になったお礼と
近日中にまだ病院にも伺うことを伝えたが、
そこで、急に悲しみがこみ上げてきて、
先生の言葉を聞きながら、要件を短く伝えるのが精一杯だった。
その後も火葬場などの手配し終えた後は、何をするでもなく
亡骸を眺めながら、ただただ1日が過ぎていった。
柔らかかった体は徐々に強張っていった。
うっすら開いていたその目も、徐々にくぼみ光を失って行くようだった。
ただ眠っているようにしか見えない、そんな姿だった。
自分が悲しい気持ちはもちろんあったけれど、
ジップのやせ細った体を見て、やっと楽になれたのだろうという気持ちもあった。
不自由になった体から解放されて、元気いっぱいに飛び回り弾けていた
あの頃のように、天国で思い切り走り回っていたら良いなと。
翌日、父は仕事を休めたので家族で車で火葬場に行った。
お骨を拾い骨壷に収めて持って帰ってきた。
16歳という年の割に、骨はしっかりとして綺麗に見えた。
火葬場の人も、年齢の割にとても綺麗ですねと言ってくれた。
全員に言うお決まりの言葉かもしれないけれど、その言葉は少し嬉しかった。
これまで、大事に育ててきたことを肯定してもらえたような、
そんな気がしたからかもしれない。
翌々日、私は予定通り東京に戻った。
2年半以上経った今でも、リアルに情景を思い出すと
こみ上げてくるものがあり、一気に書ききれることもでもなかったから、
本当に大きな出来事ではあったけれど、後悔の気持ちはほとんどなかった。
自分にできることは全部やったという気持ちがあったからだと思う。
不思議なことに、その後、私の夢にもジップは全然出てこない。
ジップも、この世で散々楽しんで堪能して喜びも多く生きて、
満足して旅立ったのではないかと思う。
毎日毎日、献身的に世話をしてくれた両親にも、とても感謝している。
溺愛していた両親にとって、ジップの死は、私以上に相当堪えたと思う。
もう二度と犬を迎えない。という、両親の決意は固そうだから、
それはそれで尊重しようと思う。
私は私で、また新たに犬を迎えて、
ジップと過ごした日々を生かすことになるだろうと思っていた。
私自身の生き方も変えるような大きな影響を与えてくれて、
突き動かしてくれた存在だったから。
ジップ無くして今の自分はあり得ない。
ジップのおかげで、知ったことや感じたことは、
本当にかけがえのない、素晴らしいものだった。
全てを終えて東京に戻った後、生活は変わらないのに、
なんだか世界がガラリと変わってしまうような、やりきれない気持ちになった。
離れていてもずっと心の支えになってきた存在だったから、
支えを失うことで、自分の中心がなくなってしまったような気持ちだった。
自分の一部として存在していた愛犬を失った時、
人それぞれ、悲しみとの向き合い方がある。
どういう形であれ、そのあまりの辛さを少しでも和らげようとする。
父は後日、等身大のジャックラッセルテリアのぬいぐるみを
ネットでオーダーし、いつもジップの寝ていた定位置に置いていた。
私の場合、一番心が慰められたのは、
あるブログの「ペットロス」のカテゴリーの記事を読むことだった。
それが以下のリンク先にあるもので、
どれも犬への愛に溢れたものであり、温かい気持ちになると同時に、
自分の気持ちを代弁してくれているようで、とても慰められた。
http://catsanddogs75.blog136.fc2.com/blog-category-4.html
特にお気に入りの記事は、「バスターが死んだんだぞ」というもの。
最も共感できると共に、微笑ましくも読む度に胸を打たれ涙が出てしまう。
(今日、ブログを改めて見たら、昨日更新の最新記事としてUPされててびっくり!!
コメント欄を見るとお分かりの通り、数年前より掲載されている記事です。)
http://catsanddogs75.blog136.fc2.com/blog-entry-15.html
そして、このブログで紹介されているペットロスの記事だけがまとめられて
電子書籍になっている。
この本の利益はすべて、日本と世界の動物チャリティ団体に寄付されるのだが、
今年(2016年)一杯で、この電子書籍の販売は終わるらしい。
「大の男が号泣するとき: When a big man cries」 ノーマンテイラー邦子 (著)
この記事の凄いところは、ペットロスの人の心に寄り添うだけでなく、
次の犬を迎えることについて、後押ししてくれることだ。
2015年の秋に私は、一時預かりボランティアで協力してきた
保護団体から新たに愛犬を迎え入れることが出来た。
犬と暮らすことって、思い通りにならなかったり、ハラハラしたりイライラしたり
不自由が増えるけど、何て楽しくて面白くて幸せなんだろうと常々思う。
こうした気持ちでまた毎日過ごせることも、ジップの存在があったからこそ。
生きている間も、天国に行ってしまってからも、
私の心の一部となって、大きな存在感を発揮し続けてくれている。
※ 写真が間に合わなかったので、後日追加するかも・・・。
by scentline
| 2016-08-12 08:00
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