2014年 07月 24日
愛犬の旅立ちと思い出 3 |
愛犬との事を月命日に書こうと思って、5月は数日遅れてしまい、
6月は・・・書きそびれてしまった。忘れていた訳ではないけれど、
書こうとすると、その時の事をリアルに思い出す必要があって、
時間も要るし、ある種の勢いとエネルギーがいる。
月命日の日記を毎月更新出来ずじまいに。・・・天国の愛犬よ、ごめん。
6月の分も含める意味で、7月は長めに書く事にした。

↑ 去年の6月の愛犬。元気なうちにと、一泊で最後の家族旅行に行った。
愛犬の病気が発覚してから旅立つまでのことを書こうと思う。
書くのは自分の記録のためという意味合いが大きいが、
同じ病気と闘う愛犬と暮らす人がいたら、何らかの参考になれば。
数ヶ月前までは、思い出すと「この世にもういないんだ」と
思う度に寂しくて辛かったが、今は思い出しても割と大丈夫になり、
そんな訳はないけれど、まだ、実家でこれまで通りに
気ままにいつもの感じで過ごしているような、そんな気さえする。
口の中にある腫瘍を母が見つけたのが去年の3月。15才7ヶ月の時。
口腔内の上顎の腫瘍を摘出したのが昨年5月中旬。
確定診断が出たのは、去年の5月22日で
歯肉部腫瘤の病理組織診断の結果、
正式な病名は「悪性黒色腫(malignant melanoma)」だった。
診断書をコピーが手元にある。記載されていたのは以下の文面。
「採取された口腔内の組織では、粘膜直下から深部にかけて紡錘形類円形を示す
多形なを非上皮性の細胞の蜂巣状から束状配列を示す腫瘍性病変が
形成されています。腫瘍細胞は豊富な弱好酸性細胞質と類円形の核、
明瞭な核小体を有し、中程度の大小不同を示しています。
分裂像は10個異常/10高倍率視野と散見されます。」
「摘出された口腔内では、悪性の非上皮性腫瘍が形成されています。
腫瘍細胞にはわずかなメラニン色素が含まれており、悪性黒色腫と考えられます。
全体的には腫瘍は未分化で、悪性度の高い腫瘍と判断されます。
今後、局所病変の拡大や骨への浸潤、リンパ節、肺への転移について
注意が必要です。」というものだった。
要は、とても悪い結果だった。
なので、目の前にいる愛犬がピンピンして見えても、
数ヶ月後には、どうなるか分からないなという覚悟をした。
この病気が発覚した後の、平均的な余命の長さなどの詳細の説明を受けた。
1年後の平均的な生存率は3割程度という話しだった。
愛犬の年齢の事、心臓に持病があることなども考慮して、
抗癌治療等の積極的治療はせずに、生活の質を重視することにした。
病院で出してもらう薬の他には、癌の抑制に効果のありそうな
サプリメント、コルディMを与え始めた。
結果的には、最初に腫瘍を見つけた時から数えると11ヶ月後、
細胞検査の後の確定診断が出た8ヶ月後に亡くなったのだけれども。

↑ 父の「待て」の指示を「お手」と勘違いする愛犬。昨年6月。
診断書の予言通りに、2ヶ月後には首のリンパ節にも転移して
首に触ると小さめの巨峰があるみたいな感触があった。
呼吸に支障が出るかもと心配したが、呼吸には影響しない大きさで止まった。
痩せることもなく、症状が激変することもなくそのまま数ヶ月が経った。

口の中に出来た腫瘍を、昨年のうちに計2度オペで除去した。
昨年5月末の1回目のオペは傷口も小さく綺麗で負担も軽そうだった。
術後の経過も良く、8月には16才の誕生日も迎える事ができた。
不格好な手作りバースデーケーキを作って祝い、それをガッついて食べた。

↑ 待てを完全無視するので、抱っこで拘束されつつケーキと記念撮影。
元気も食欲もあるが、徐々に首が上がらなくなっていった。
帰省して会う度に、うなだれる角度が大きくなる感じだった。

最後の方になると、鼻を床にこすりそうに(時々こすったり)しながら歩いていた。
同じ所を、ゆっくりクルクルと回ることも多かった。

秋になって、同じ箇所にまた腫瘍が再発した。
腫瘍があることで口の中に違和感はあれど、様子を見ていると
痛みなどもなさそうだったが、腫瘍から発せられる酷い匂いと
時々腫瘍から出血することから、2度目の除去手術をすることにした。
11月の2度目のオぺは除去範囲が広く、術後の負担も大きく、
顔はパンパンに腫れて、とても痛そうに一定にリズムで
ウーン、ウーンと呻き、痛みから震えていた。
何もしてあげられる事がなく、辛い時期だった。

数週間後には、2度目のオペ時の顔の腫れも引き、スッキリした顔になっていた。
年内の再発はないだろうと思われたが、腫瘍はまた現れて成長した。
もう手術を乗り越えられる体力もないし、させる気もなかったので、
自宅で出来る限りのケアをするのみになった。

↑ 少しでも楽にと思いお灸も。お灸をする時は布を当てた方良いそうです。
口の中の赤く柔らかい腫瘍が少しの刺激で破れて、一時大量出血したことから、
貧血になったので、それ以上の貧血を進行させないためにも、
自宅に中型犬用の酸素室もレンタルし設置。

ある日、母から夜に電話がかかってきた。
どうやら、腫瘍のある方の頬が、みるみるうちに腫れ上がり、
少し膿みが見えたので拭こうとしたらズルっと一部の皮膚がめくれたそうだ。
皮膚が壊死していたらく、今度こそもうダメかもしれないという内容だった。
診察時間外だが、かかりつけの動物病院の留守電にメッセージを入れるよう伝えた。
あまりに苦しそうならば、安楽死を選ぶ事も視野に入れた方が良いとも伝えた。
間もなく病院から折り返し電話連絡をもらい、
病院に来るように指示があったので、両親揃って
夜にタクシーで動物病院にかけつけて処置してもらったそうだ。
タクシーの中では、酷い匂いが充満したらしく、タクシーの運転手さんに
申し訳なかったと後から両親共に言っていた。
当直の獣医さんに腫れた頬から膿みを出す処置をしてもらったのだが、
その間、奥の処置室で静かな病院内に響き渡る程の、
今までに聞いた事ない大きな声で吠えていたらしい。
処置中も暴れたり吠えたりすることはまずないので、珍しい事だった。
戻ってくると、処置のおかげで頬の腫れはだいぶ引いていたそうだ。
安楽死についてもそれとなく、その当直の獣医さんに聞いてみた所、
まだ自発的な食欲もあるからということで、安楽死については却下とのことだった。
翌日、担当の獣医さんに夜の状況をきちんと引き継いでくれたようで、
担当の獣医さんは、苦しそうな時に自宅で使えるように、
精神を安定させる効果のある睡眠薬を出してくれた。
こちらの強い希望があるならば安楽死についても、理解を示してくれて
何かあればいつでも言って下さいと言ってくれた。
(しかし、自宅に出張してもらう事は不可で、
病院に連れて来る事が前提であるということだった。)
私は電話の連絡を受けて、ある程度覚悟して東京から京都まで帰省したが、
帰省してみると、山場があったと思えない程に状態は割と落ち着いていた。
結果的に、もうだめかと思った後も、食欲はあって、
不死鳥のように蘇る脅威のねばりを見せ、
悪いながらも安定した容態になると、なんだかケロッとした
雰囲気を醸し出し、いつも通りに振る舞おうとする愛犬を見て、
何度も覚悟と安堵を繰り返すことになった。
「めっちゃがんばるな〜!凄いな!偉いなあ!」と、
親と一緒にその生命力に感心して笑ってしまう程だった。

↑ 介護は割と汚れたりもする。安くてすぐ洗濯出来るユニクロの服が活躍した。
最後の1ヶ月は、徐々に寝たきりになりった。
同時に筋力も衰え、食事も流動食になって、やせ細って行った。
整体の先生に教えて頂いた、食欲増進マッサージをしたりもした。
病状は改善する見込みもなく、先は明るくないのに、
寝ている時の呼吸や表情はとても穏やかで、目が覚めている間も
苦しがる様子もなく、あーだ、こーだという目力や仕草、吠えで、
訴えてくる事に対応していると、悲しい気持ちというよりは、
その生命力に励まさせる気さえした。

↑ 貧血が改善し元気が出てくると、日中は酸素室を使う時間は減った。
家を留守にする時と、夜寝る時に徘徊防止にもなり酸素室は重宝した。
長くなったので、続きはまた今度。
6月は・・・書きそびれてしまった。忘れていた訳ではないけれど、
書こうとすると、その時の事をリアルに思い出す必要があって、
時間も要るし、ある種の勢いとエネルギーがいる。
月命日の日記を毎月更新出来ずじまいに。・・・天国の愛犬よ、ごめん。
6月の分も含める意味で、7月は長めに書く事にした。

↑ 去年の6月の愛犬。元気なうちにと、一泊で最後の家族旅行に行った。
愛犬の病気が発覚してから旅立つまでのことを書こうと思う。
書くのは自分の記録のためという意味合いが大きいが、
同じ病気と闘う愛犬と暮らす人がいたら、何らかの参考になれば。
数ヶ月前までは、思い出すと「この世にもういないんだ」と
思う度に寂しくて辛かったが、今は思い出しても割と大丈夫になり、
そんな訳はないけれど、まだ、実家でこれまで通りに
気ままにいつもの感じで過ごしているような、そんな気さえする。
口の中にある腫瘍を母が見つけたのが去年の3月。15才7ヶ月の時。
口腔内の上顎の腫瘍を摘出したのが昨年5月中旬。
確定診断が出たのは、去年の5月22日で
歯肉部腫瘤の病理組織診断の結果、
正式な病名は「悪性黒色腫(malignant melanoma)」だった。
診断書をコピーが手元にある。記載されていたのは以下の文面。
「採取された口腔内の組織では、粘膜直下から深部にかけて紡錘形類円形を示す
多形なを非上皮性の細胞の蜂巣状から束状配列を示す腫瘍性病変が
形成されています。腫瘍細胞は豊富な弱好酸性細胞質と類円形の核、
明瞭な核小体を有し、中程度の大小不同を示しています。
分裂像は10個異常/10高倍率視野と散見されます。」
「摘出された口腔内では、悪性の非上皮性腫瘍が形成されています。
腫瘍細胞にはわずかなメラニン色素が含まれており、悪性黒色腫と考えられます。
全体的には腫瘍は未分化で、悪性度の高い腫瘍と判断されます。
今後、局所病変の拡大や骨への浸潤、リンパ節、肺への転移について
注意が必要です。」というものだった。
要は、とても悪い結果だった。
なので、目の前にいる愛犬がピンピンして見えても、
数ヶ月後には、どうなるか分からないなという覚悟をした。
この病気が発覚した後の、平均的な余命の長さなどの詳細の説明を受けた。
1年後の平均的な生存率は3割程度という話しだった。
愛犬の年齢の事、心臓に持病があることなども考慮して、
抗癌治療等の積極的治療はせずに、生活の質を重視することにした。
病院で出してもらう薬の他には、癌の抑制に効果のありそうな
サプリメント、コルディMを与え始めた。
結果的には、最初に腫瘍を見つけた時から数えると11ヶ月後、
細胞検査の後の確定診断が出た8ヶ月後に亡くなったのだけれども。

↑ 父の「待て」の指示を「お手」と勘違いする愛犬。昨年6月。
診断書の予言通りに、2ヶ月後には首のリンパ節にも転移して
首に触ると小さめの巨峰があるみたいな感触があった。
呼吸に支障が出るかもと心配したが、呼吸には影響しない大きさで止まった。
痩せることもなく、症状が激変することもなくそのまま数ヶ月が経った。

口の中に出来た腫瘍を、昨年のうちに計2度オペで除去した。
昨年5月末の1回目のオペは傷口も小さく綺麗で負担も軽そうだった。
術後の経過も良く、8月には16才の誕生日も迎える事ができた。
不格好な手作りバースデーケーキを作って祝い、それをガッついて食べた。

↑ 待てを完全無視するので、抱っこで拘束されつつケーキと記念撮影。
元気も食欲もあるが、徐々に首が上がらなくなっていった。
帰省して会う度に、うなだれる角度が大きくなる感じだった。

最後の方になると、鼻を床にこすりそうに(時々こすったり)しながら歩いていた。
同じ所を、ゆっくりクルクルと回ることも多かった。

秋になって、同じ箇所にまた腫瘍が再発した。
腫瘍があることで口の中に違和感はあれど、様子を見ていると
痛みなどもなさそうだったが、腫瘍から発せられる酷い匂いと
時々腫瘍から出血することから、2度目の除去手術をすることにした。
11月の2度目のオぺは除去範囲が広く、術後の負担も大きく、
顔はパンパンに腫れて、とても痛そうに一定にリズムで
ウーン、ウーンと呻き、痛みから震えていた。
何もしてあげられる事がなく、辛い時期だった。

数週間後には、2度目のオペ時の顔の腫れも引き、スッキリした顔になっていた。
年内の再発はないだろうと思われたが、腫瘍はまた現れて成長した。
もう手術を乗り越えられる体力もないし、させる気もなかったので、
自宅で出来る限りのケアをするのみになった。

↑ 少しでも楽にと思いお灸も。お灸をする時は布を当てた方良いそうです。
口の中の赤く柔らかい腫瘍が少しの刺激で破れて、一時大量出血したことから、
貧血になったので、それ以上の貧血を進行させないためにも、
自宅に中型犬用の酸素室もレンタルし設置。

ある日、母から夜に電話がかかってきた。
どうやら、腫瘍のある方の頬が、みるみるうちに腫れ上がり、
少し膿みが見えたので拭こうとしたらズルっと一部の皮膚がめくれたそうだ。
皮膚が壊死していたらく、今度こそもうダメかもしれないという内容だった。
診察時間外だが、かかりつけの動物病院の留守電にメッセージを入れるよう伝えた。
あまりに苦しそうならば、安楽死を選ぶ事も視野に入れた方が良いとも伝えた。
間もなく病院から折り返し電話連絡をもらい、
病院に来るように指示があったので、両親揃って
夜にタクシーで動物病院にかけつけて処置してもらったそうだ。
タクシーの中では、酷い匂いが充満したらしく、タクシーの運転手さんに
申し訳なかったと後から両親共に言っていた。
当直の獣医さんに腫れた頬から膿みを出す処置をしてもらったのだが、
その間、奥の処置室で静かな病院内に響き渡る程の、
今までに聞いた事ない大きな声で吠えていたらしい。
処置中も暴れたり吠えたりすることはまずないので、珍しい事だった。
戻ってくると、処置のおかげで頬の腫れはだいぶ引いていたそうだ。
安楽死についてもそれとなく、その当直の獣医さんに聞いてみた所、
まだ自発的な食欲もあるからということで、安楽死については却下とのことだった。
翌日、担当の獣医さんに夜の状況をきちんと引き継いでくれたようで、
担当の獣医さんは、苦しそうな時に自宅で使えるように、
精神を安定させる効果のある睡眠薬を出してくれた。
こちらの強い希望があるならば安楽死についても、理解を示してくれて
何かあればいつでも言って下さいと言ってくれた。
(しかし、自宅に出張してもらう事は不可で、
病院に連れて来る事が前提であるということだった。)
私は電話の連絡を受けて、ある程度覚悟して東京から京都まで帰省したが、
帰省してみると、山場があったと思えない程に状態は割と落ち着いていた。
結果的に、もうだめかと思った後も、食欲はあって、
不死鳥のように蘇る脅威のねばりを見せ、
悪いながらも安定した容態になると、なんだかケロッとした
雰囲気を醸し出し、いつも通りに振る舞おうとする愛犬を見て、
何度も覚悟と安堵を繰り返すことになった。
「めっちゃがんばるな〜!凄いな!偉いなあ!」と、
親と一緒にその生命力に感心して笑ってしまう程だった。

↑ 介護は割と汚れたりもする。安くてすぐ洗濯出来るユニクロの服が活躍した。
最後の1ヶ月は、徐々に寝たきりになりった。
同時に筋力も衰え、食事も流動食になって、やせ細って行った。
整体の先生に教えて頂いた、食欲増進マッサージをしたりもした。
病状は改善する見込みもなく、先は明るくないのに、
寝ている時の呼吸や表情はとても穏やかで、目が覚めている間も
苦しがる様子もなく、あーだ、こーだという目力や仕草、吠えで、
訴えてくる事に対応していると、悲しい気持ちというよりは、
その生命力に励まさせる気さえした。

↑ 貧血が改善し元気が出てくると、日中は酸素室を使う時間は減った。
家を留守にする時と、夜寝る時に徘徊防止にもなり酸素室は重宝した。
長くなったので、続きはまた今度。
by scentline
| 2014-07-24 19:49
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