2009年 06月 03日
善意の間違い |
うちの近所の、名前も知らない外飼いの犬。
性別不明、年齢不明。
知ってるのは、中型犬で中肉中背、
茶色くて大人しくて雑種ということくらい。
吠えることもなく、けれど目が合っても、
尻尾を振ったり、寄ってくるなどのこともなく。
いつも、ただただおとなし~く、
通りを歩く人や犬を観察しつつ、そこにいるコでした。
私は、勝手に「ごんた君」と呼んでいました。
ごんた君のいる道を通る時は、
必ずごんた君の存在をチェックするのが、
いつの間にか、当たり前になっていました。
声をかけたり、寄って行ったり触ったりはしませんでしたが、
通りすがりに、目と目があう程度の仲。
室内飼育が当たり前になってきた今、
外飼いの犬を見ると、逆に新鮮な感じすらするこの頃です。
いつも、そこに居てくれるだけでなんか愛着が湧いてきます。
外飼いの犬達って、知らず知らず、
こんな風に、近所の人の癒しになっているのかなあと思ったり。
そんなごんた君(仮名)の小屋の近くに、
ある日こんな張り紙が貼られました。
「いつも、可愛がって下さってありがとうございます。
体調を崩していますので、食べ物を与えないで下さい。」
という内容が、書かれた張り紙が。
その張り紙を見て、しばらく経過した頃、
ごんた君を囲んで、近所の大人の人たちが集まっているのを見ました。
珍しいなあ、何かあったのかな?井戸端会議でもしているのかな?
くらいに思いつつ、用事を済ませに出かけたのですが、、、。
その数日後、何気なくごんた君の家の前の道を通ると、
犬小屋の横に置かれた、青いバケツの中に大きな花束が、、、。
「え?!まさか?!!」と思って、
いつもの場所にいるはずの、ごんた君の姿を探しました。
が、ごんが君の姿はなく、
犬小屋の中に、見覚えのある首輪とハーネスと、リードが
小屋の中にきちんと畳んで置かれているだけ。
これで確信しました。
ごんた君は、天国へと旅立ってしまったのだと、、、。
なんとなく、ずっとそこに居るように思っていて、
健康そうで、丈夫なイメージがあって、
そこに居るのが当たり前で、
ものすごく驚きました。と同時に、
大きな寂しさを感じました。
それほど老犬でもなかったと思っていましたが、
実際の所、どうして死んでしまったのか、
私は、知らないので分かりません。
春夏秋冬、朝から夜までそこにいたごん太君。
お散歩してもらってるのを見かけたり、
こっそり脱走して、こっそり帰ってきた所をつかまって、
「どこ行ってたの~!心配したじゃない」と、
怒られて、申し訳なさそうにしているところを見かけたり。
ご飯の時間近くになると、台所の窓を見上げて、
姿勢の良いオスワリをして、ごはんが出てくるのを待っていたり。
初めて見る犬には吠えるけど、
2回目だったら吠えない。
という自分なりのルールを持っているコでした。
派手なことは一切せず、地味な存在でしたが、
思い返せば、何度も微笑ましい気持ちにさせてもらっていました。
外飼いの犬は、いつもそこに居るので、
犬が好きな人は、ついつい目が行くと思います。
そして、そのコが好きになると構いたくなります。
そのコの喜ぶ姿を見たい。可愛がりたい。好かれたい。
という、自分の欲が強くなってくると、
ちょっとオヤツをあげたり、食べ物を与えたりする人がいます。
あげると、喜ぶから、、、。
ちょっとだけだったら、、、。
きっと、自分自身にそんな言い訳をしながら、
こっそり、食べ物を与える人がいます。
良いことだと思って、堂々と与える人、
ちょっとくらい良いじゃない。と思う人、
犬用ジャーキーだし大丈夫。と思う人、
いろんな考えがあるかもしれませんが、
よその犬に、飼い主の許可なく食べ物を与えることは、
自分にとって「のみ」良いことで、
犬にとっては良いことではありません。
「ちょっとくらい。」そう思っている人が、
一日に何人も何人も訪問しているとしたら、、、?
与えられる食べ物の量は、膨大になります。
こっそり、与える人がいる限り、
飼い主さんは、犬の食事を制限しないとなりません。
毎日にように訪れる人もいれば、時々の人もいるし、
ちょっとだけ与える人もいれば、一人で沢山与える人もいる。
時には、誰も来なかったり。と、全く読めないので、
犬達は、食べ過ぎて下痢をする日もあれば、
逆に、おなかが減っている日も、、、。
何より、犬用おやつのようなものから人間の食べ物まで
与えられることにより、犬の体の栄養バランスが崩れて当然です。
ごんた君が、死んでしまった原因を私は知りません。
少し前に張り出された、その張り紙を目にしなければ、
この記事を書くことも、なかったでしょう。
私のよく知る、外飼いの犬の飼い主さんから聞いたお話。
「食べ物を与えないで下さい。」と、言いたいけれど、
可愛がってくださっているのだし、ご近所の人が多いので
与えないで下さいと注意して、角が立ってはいけないし、、、と
遠慮してなかなか言い出せないそうです。
ある時、その方の愛犬の、血液検査の数値にやや、異常が見られたので、
「食べ物を与えないでという、張り紙をしたいのですが、
雨に濡れても大丈夫なように、上手く作れそうもないので、お願いできませんか?」
と、張り紙の作成を頼まれました。
内容は、張り紙を見た人が、気分を害さないような
感じで、、、出来ればお願いします。と。
作成して、お渡しするととても喜んでくださいました。
しかし、すぐに貼ることはせず、
「作ってもらえただけで、(自分の気持ちが)楽になりました。
まだ貼らずに、食べ物を与えている人を見たら、
これを持って行って、見せることにします。」
と、おっしゃいました。
その時、私が作ったポスターの内容文章は
ごんた君の所に貼られていたポスターと同じ内容のようなものでした。
飼い主さんは、食べ物を与えるという形で、
可愛がってくれている人の気持ちも、すごくよく理解されています。
食べ物を与えるのは、年配の方の割合が多いのです。
食べ物を与え、喜んで食べる犬の顔を見たり、
触れ合えて、嬉しくなる気持ちは良くわかります。
けれど、善意であっても断らないと、
愛犬の健康が害されてしまう、、、。
その間で、飼い主さんは悩みます。
結局、何かあるまで黙認しがちになります。
でも、何かあってからでは遅い、、、。
犬を、屋外飼育しなければ良い。と思う人もいるかもしれませんが、
外飼育だから大事にされていないわけでも、愛情がないわけではなく、
十分な世話、愛情を受けて暮らしている犬達もいます。
室内で飼うか室外で飼うかは、その家の環境や事情もあると
私個人は思います。
どんなに可愛いな~と思っても、外飼いの犬に、
勝手に食べ物を与えるのは、間違いです。
善意からの行動であっても、それが引き金になって、
病気になった時に、責任を持てるのでしょうか?
犬が病気になって、死んでしまっても、
「喜んでたんだから、良いじゃない。」と言えるでしょうか?
想像してみて下さい。
そして、飼い主さんが、張り紙を出さずに済むように、
犬を、他人の手の届かない所に繋がなくて済むように。
そういう思いやりがやさしさであり、
かわいがっていることだと私は思います。
性別不明、年齢不明。
知ってるのは、中型犬で中肉中背、
茶色くて大人しくて雑種ということくらい。
吠えることもなく、けれど目が合っても、
尻尾を振ったり、寄ってくるなどのこともなく。
いつも、ただただおとなし~く、
通りを歩く人や犬を観察しつつ、そこにいるコでした。
私は、勝手に「ごんた君」と呼んでいました。
ごんた君のいる道を通る時は、
必ずごんた君の存在をチェックするのが、
いつの間にか、当たり前になっていました。
声をかけたり、寄って行ったり触ったりはしませんでしたが、
通りすがりに、目と目があう程度の仲。
室内飼育が当たり前になってきた今、
外飼いの犬を見ると、逆に新鮮な感じすらするこの頃です。
いつも、そこに居てくれるだけでなんか愛着が湧いてきます。
外飼いの犬達って、知らず知らず、
こんな風に、近所の人の癒しになっているのかなあと思ったり。
そんなごんた君(仮名)の小屋の近くに、
ある日こんな張り紙が貼られました。
「いつも、可愛がって下さってありがとうございます。
体調を崩していますので、食べ物を与えないで下さい。」
という内容が、書かれた張り紙が。
その張り紙を見て、しばらく経過した頃、
ごんた君を囲んで、近所の大人の人たちが集まっているのを見ました。
珍しいなあ、何かあったのかな?井戸端会議でもしているのかな?
くらいに思いつつ、用事を済ませに出かけたのですが、、、。
その数日後、何気なくごんた君の家の前の道を通ると、
犬小屋の横に置かれた、青いバケツの中に大きな花束が、、、。
「え?!まさか?!!」と思って、
いつもの場所にいるはずの、ごんた君の姿を探しました。
が、ごんが君の姿はなく、
犬小屋の中に、見覚えのある首輪とハーネスと、リードが
小屋の中にきちんと畳んで置かれているだけ。
これで確信しました。
ごんた君は、天国へと旅立ってしまったのだと、、、。
なんとなく、ずっとそこに居るように思っていて、
健康そうで、丈夫なイメージがあって、
そこに居るのが当たり前で、
ものすごく驚きました。と同時に、
大きな寂しさを感じました。
それほど老犬でもなかったと思っていましたが、
実際の所、どうして死んでしまったのか、
私は、知らないので分かりません。
春夏秋冬、朝から夜までそこにいたごん太君。
お散歩してもらってるのを見かけたり、
こっそり脱走して、こっそり帰ってきた所をつかまって、
「どこ行ってたの~!心配したじゃない」と、
怒られて、申し訳なさそうにしているところを見かけたり。
ご飯の時間近くになると、台所の窓を見上げて、
姿勢の良いオスワリをして、ごはんが出てくるのを待っていたり。
初めて見る犬には吠えるけど、
2回目だったら吠えない。
という自分なりのルールを持っているコでした。
派手なことは一切せず、地味な存在でしたが、
思い返せば、何度も微笑ましい気持ちにさせてもらっていました。
外飼いの犬は、いつもそこに居るので、
犬が好きな人は、ついつい目が行くと思います。
そして、そのコが好きになると構いたくなります。
そのコの喜ぶ姿を見たい。可愛がりたい。好かれたい。
という、自分の欲が強くなってくると、
ちょっとオヤツをあげたり、食べ物を与えたりする人がいます。
あげると、喜ぶから、、、。
ちょっとだけだったら、、、。
きっと、自分自身にそんな言い訳をしながら、
こっそり、食べ物を与える人がいます。
良いことだと思って、堂々と与える人、
ちょっとくらい良いじゃない。と思う人、
犬用ジャーキーだし大丈夫。と思う人、
いろんな考えがあるかもしれませんが、
よその犬に、飼い主の許可なく食べ物を与えることは、
自分にとって「のみ」良いことで、
犬にとっては良いことではありません。
「ちょっとくらい。」そう思っている人が、
一日に何人も何人も訪問しているとしたら、、、?
与えられる食べ物の量は、膨大になります。
こっそり、与える人がいる限り、
飼い主さんは、犬の食事を制限しないとなりません。
毎日にように訪れる人もいれば、時々の人もいるし、
ちょっとだけ与える人もいれば、一人で沢山与える人もいる。
時には、誰も来なかったり。と、全く読めないので、
犬達は、食べ過ぎて下痢をする日もあれば、
逆に、おなかが減っている日も、、、。
何より、犬用おやつのようなものから人間の食べ物まで
与えられることにより、犬の体の栄養バランスが崩れて当然です。
ごんた君が、死んでしまった原因を私は知りません。
少し前に張り出された、その張り紙を目にしなければ、
この記事を書くことも、なかったでしょう。
私のよく知る、外飼いの犬の飼い主さんから聞いたお話。
「食べ物を与えないで下さい。」と、言いたいけれど、
可愛がってくださっているのだし、ご近所の人が多いので
与えないで下さいと注意して、角が立ってはいけないし、、、と
遠慮してなかなか言い出せないそうです。
ある時、その方の愛犬の、血液検査の数値にやや、異常が見られたので、
「食べ物を与えないでという、張り紙をしたいのですが、
雨に濡れても大丈夫なように、上手く作れそうもないので、お願いできませんか?」
と、張り紙の作成を頼まれました。
内容は、張り紙を見た人が、気分を害さないような
感じで、、、出来ればお願いします。と。
作成して、お渡しするととても喜んでくださいました。
しかし、すぐに貼ることはせず、
「作ってもらえただけで、(自分の気持ちが)楽になりました。
まだ貼らずに、食べ物を与えている人を見たら、
これを持って行って、見せることにします。」
と、おっしゃいました。
その時、私が作ったポスターの内容文章は
ごんた君の所に貼られていたポスターと同じ内容のようなものでした。
飼い主さんは、食べ物を与えるという形で、
可愛がってくれている人の気持ちも、すごくよく理解されています。
食べ物を与えるのは、年配の方の割合が多いのです。
食べ物を与え、喜んで食べる犬の顔を見たり、
触れ合えて、嬉しくなる気持ちは良くわかります。
けれど、善意であっても断らないと、
愛犬の健康が害されてしまう、、、。
その間で、飼い主さんは悩みます。
結局、何かあるまで黙認しがちになります。
でも、何かあってからでは遅い、、、。
犬を、屋外飼育しなければ良い。と思う人もいるかもしれませんが、
外飼育だから大事にされていないわけでも、愛情がないわけではなく、
十分な世話、愛情を受けて暮らしている犬達もいます。
室内で飼うか室外で飼うかは、その家の環境や事情もあると
私個人は思います。
どんなに可愛いな~と思っても、外飼いの犬に、
勝手に食べ物を与えるのは、間違いです。
善意からの行動であっても、それが引き金になって、
病気になった時に、責任を持てるのでしょうか?
犬が病気になって、死んでしまっても、
「喜んでたんだから、良いじゃない。」と言えるでしょうか?
想像してみて下さい。
そして、飼い主さんが、張り紙を出さずに済むように、
犬を、他人の手の届かない所に繋がなくて済むように。
そういう思いやりがやさしさであり、
かわいがっていることだと私は思います。
by scentline
| 2009-06-03 00:20
| つぶやき